1980年代~1990年代にトレンディドラマで大活躍した浅野温子さん。
1983年には作詞家の魚住勉さんと結婚しました。
2人は一体どのようにして知り合い、結婚したのでしょうか?
浅野温子|プロフィール
まず、本題に入る前に2人のプロフィールを簡単にご紹介したいと思います。
浅野温子
- 名前:浅野温子
- 生年月日:1961年3月4日
- 出身:東京都
- 職業:女優
1976年、浅野温子さんは「エデンの海」で映画デビュー。
1991年、武田鉄矢さんと共演したドラマ「101回目のプロポーズ」では最高視聴率36.7%を記録。
2003年からは、各地の神社などで読み語りを行っています。
主な代表作として、
- あぶない刑事(86~)
- 抱きしめたい(88)
- フリーター、家を買う(10)
などがあり、5月24日には映画「帰ってきた あぶない刑事」が公開予定です↓↓
魚住勉と結婚、出産
いつから交際が始まったのかは不明ですが、浅野温子さんは魚住勉と1983年に結婚されています。
その年齢差は14歳で、浅野温子さんが22歳、魚住勉さんが36歳でした。
翌年の1984年には長男が誕生しています。
浅野温子さんは魚住勉さんの存在について、
トイレを開けっぱなしで出来る人
と語っており、お互いに気を使わないで生活出来るのがすごく心地良いのだそう。
それくらい魚住勉さんに気を許しているのかもしれませんね。
魚住勉|プロフィール
続いて、浅野温子さんの夫である魚住勉さんのプロフィールについてまとめます。
- 名前:魚住勉
- 生年月日:1947年1月1日
- 出身:熊本県
- 職業:コピーライター・作詞家
魚住勉さんは慶應義塾大学を卒業後、日本デザインセンターという広告デザイン会社に入社。
22歳でコピーライターの新人賞を受賞。
31歳の時には丸井の広告「ひとりより ふたり」のキャッチコピーが評価され、後に独立。
他にも伊勢丹やサントリーなどのCMやポスターのコピーを担当しています。
また、作詞家としても活動しており、デュエット曲の「男と女のラブゲーム」やWANDSの大ヒット曲「もっと強く抱きしめたなら」などがあります。
1983年には浅野温子さんと結婚しました。
2人の馴れ初め
1983年に結婚した浅野温子さんと魚住勉さん。
2人はどのようにして出会ったのでしょうか?
それぞれ見ていきます。
きっかけは3つのCM
2人の出会いについてですが、結論からいうと
詳細は不明です
結婚当時、記者会見が開かれることはなく、お互いに夫婦について公言することはなかったようなので、情報が全くない状態です。
ですが、一部では仕事関係で知り合ったのではないかと言われています。
魚住勉さんは31歳の時に独立した後、人脈を広げるために様々な芸能関係者の集まりに顔を出していたのだそう。
浅野温子さんとはその時に知り合ったようですが、こちらも詳細は不明です。
また、浅野温子さんが出演したCMの中には魚住勉さんが関わったものが3件ほどあるようです。
その3軒は次のとおり
- 「はじめは恋、あとで愛」というキャッチコピーを手掛けたパルコのCM
- 「プレーン&リッチ」というシャンプーのCM
- WANDSの「もっと強く抱きしめたなら」のCM
実際の3つCM映像がこちら⇩⇩
ちなみに魚住勉さんが手がけたこの3件は結婚後のことらしいです。
旦那の認知症で離婚危機?
長年、作詞家やコピーライターとして活動していた魚住勉さんですが、最近は全く活動を行っていないようです。
年齢が70代半ばということもあり、現在は仕事を控えているのかもしれません。
一部では、
認知症になって家に籠っている
という噂もあり、中には離婚したという話も。
ですが調査したところ、魚住勉さんが認知症になったという情報も離婚の情報もありませんでした。
やはり70代半ばの高齢なので、表立った活動をセーブしているのかもしれません。
だからこういった噂が流れてしまったのかもしれないですね。
もし事実ならメディアから発信されそうです。
よってこちらはガセである可能性が高いです。
以上、浅野温子さんと夫の馴れ初めについて纏めました。
今後ともお二人の幸せを心より願っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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